umaの日記

メンタル弱々JDの脳内

1ヶ月

三浦春馬さんが亡くなって1ヶ月。

 

毎日、常に、彼のことを考えて。

遊びに行っても、誰かと一緒にいても、いつでも彼のことが忘れられない。

寝ている時以外はずっと考えている。

 

まだ信じられないし、亡くなったってどういうことだろう?って、考えても変わらないことばかり考える。

 

 

そして、彼自身のこと以外にも、目を向ける余裕が少しだけ、本当に少しだけ出てきたので

考えてみた。

彼が亡くなるずっと前から、疑問には感じていたこと。

 

亡くなったことをきっかけに、亡くなった方について詳しく知るようになり、ファンになった人。

又は、以前から顔は好きだったけど亡くなったことをきっかけにファンになった という人。

 

私はずっと、この類の人達を理解できなかった。

 

でも、今のTwitterInstagramTikTokなどのSNSを見ていると、三浦春馬さんが亡くなってからファンだと名乗るようになった人が "ものすごく" 多いと感じる。

 

実は、私も彼女たちのことを批判は出来ない。

1年半ほど前まで、三浦春馬さんのファンだった。

でも、最近は三浦春馬さんから離れてしまっていた。

そんな時に亡くなり、再び彼について見たり聞いたりするようになって、大きな後悔と悲しさ虚しさに襲われた。

 

私は彼が好きだった。

どうして一時離れてしまっていたのだろうと心の底から思う。

本当に好きだった。

 

でも、本当にずっと、ずっとずっと彼のことを応援してきた方々のことを思うと、ファンだなんて名乗れないし、"三浦春馬が好き"だなんて言えない。

 

そう思う。

 

私の常識では、そうだった。

 

"亡くなってから、改めて好きになりました。亡くなったことで、彼が好きだったんだと思いました。亡くなって初めて、彼を好きになりました。"

 

そんな奴に、好きだとかファンだとか公言する資格はないと思っていた。

(亡くなってしまったショックやつらさを吐き出すのと、好きだったとかファンだとか公言することは、違うものだと考えている)

 

だけど、今のSNSには、明らかに三浦春馬さんが亡くなってから好きになった方々の発言が溢れている。

 

もちろん、世界の偉人やアーティスト、有名人は亡くなってからも尚、新しいファンをたくさん生み出している。

亡くなってからファンになることがダメだと言っているのではない。

 

(正直、亡くなってから暫く経ってからファンになるのと、亡くなったことをきっかけにファンになるのとでは また違うとは思う。

亡くなったことをきっかけにファンになる ということは、そのきっかけが本当に心の底からのその人への愛 ではなく、同情や後悔しないようになどの自分への損得を含めた感情 がきっかけのファン という印象は少なからずある。)

 

しかし、亡くなったことをきっかけにファンになった人にしても

今は、今だけは、抑えた方がいいのではないか と思う。

彼が亡くなって1ヶ月。

昔からファンだった人達は、亡くなった途端に

"好きだったのに" と軽い気持ちで発言する人

"この春馬くんかっこいい💖" と画像や動画付きで発信している人

を見て、どう感じるだろう。

 

後者も、殆どの場合が、亡くなってからファンになった人達だ。

 

単純に考えて、昔からファンだった人と、亡くなったことをきっかけにファンになった人では

後者の方が立ち直りが早いのは当たり前だ。

その人達が、明るい調子で彼の画像や動画を発信する。

まだまだ闇のドン底にいる昔からのファンがそれを見てどう思うか。

 

彼の死が商品化され、消費される。

彼のことを何も知らない人達に、"三浦春馬" ではなく、"三浦春馬の死" が消費されていく。

 

ファンを名乗っておきながら、まだ1ヶ月しか経ってないのにそんな明るいツイート出来るなんてどういう神経をしているのか

 

そんな風に思う人もいるかもしれない。

それでも、死をもってファンとなった人達が、これからも三浦春馬のファンで居続けるなら

受け入れなければいけないのだ。

そして、死をきっかけにファンとなった人達は、

彼のことをずっとずっと心の底から愛してきた人達が、今どんな気持ちでいるか、想像して発信するしなければならない。

 

私は、飽くまで昔からのファンの気持ちも配慮すべきだと主張しているのであって、所謂新規のファンを否定している訳ではないことは理解してほしい。

 

 

 

この1ヶ月、1日5回以上、毎日Twitterで 『三浦春馬』と検索している。

 

これが、その結果、私が感じたこと。考えたこと。

 

 

決めたこと

こんにちは。umaです。

 

2020/7/18から、ずっと立ち直れず、落ち込んでばかりでした。

あれから3週間も経ったなんて信じられません。

ずっと色々なことを考えていて、決めたことがあります。

 

以前もブログに書きましたが、やはり私は

周りの人の死を経験したくないので、早く死にたいのです。

 

何度も考えました。

大人になって、歳をとって、素晴らしい人生が待っているかもしれない。

でも、私は早く死にたいです。

 

だから、これから死ぬまでの人生を全力で充実させようと思います。

祖父母が死ぬ前に自分が死にたいので、25歳くらいまでなのかな?

実際に、自分で命を断つことを実行に移せるかは分かりません。

これからの人生、25歳までに、もっと長生きしたいと思い直すかもしれません。

 

でも、何年生きるとしても、その人生を充実したものにしたい。

 

大学を卒業したら、海外に移住するつもりです。

今のうちにお金を貯めて、大学在学中に

 

アメリカ-カリフォルニア

アメリカ-ロサンゼルス

アメリカ-ニューヨーク

・イギリス-ロンドン

・フランス-パリ

チェコ-プラハ

・イタリア-ベネツィア

フィンランド

 

などには行きたいですね〜

 

海外の色々な国を旅行する人生でもいいですね。

 

早く死ぬことを前提とした、もはや終活のような内容にも関わらず、人生が楽しみになってきました。

 

早く死にたい

この思いは、今の所は変わりませんが、海外に移り住んで充実した人生を送りたいです。

 

とりあえず今は、お金を貯めて、英語や他言語を勉強することにします。

 

失ったもの

スマートフォン・PCに対応したアフィリエイトのA8.net

 

 

 

umaです。

 

どうすればいいのだろう。

失ったものが大きすぎる。

何も出来ない自分が憎い。

生き返って。目に見えなくていいから、この世界のどこかに存在していて。

生きていてくれるだけでいいのに。

 

 

Apple Musicで、彼に関係する音楽を集めたプレイリストを作って聞いています。

 

泣くことしかできない。

後悔はたくさんたくさんあるけど、

今更遅すぎる。

 

本当に自分が憎い。

何で何もしなかったのか。

 

どうすればいい?

どうすれば三浦春馬は戻ってくる?

生き返ってくれるなら何でもするのに。

 

でも、彼にとっては今が幸せなのかな。

芸能界ではない、彼のことを誰も知らない世界で生きていけていたとしても、今いる世界の方が幸せなのかな?

そうだとしたら、私は耐える。耐えられるか分からないけど、彼が幸せだと言うなら、耐えるしかない。と思う。

 

でももし、彼が亡くなる前に手を差し伸べて

誰も彼のことを知らない世界に連れて行けたなら、その世界の方が今より幸せだったのだとしたら

 

本当に私は罪深い。

彼を救えなかった。

 

どうしよう。

どうすればいい。

何で?

この世界に存在していてくれるだけでよかったのに。

何も出来なかった。

何もしなかった。

 

何で?受け入れられない。

信じられない。

三浦春馬はもう死んでいる?

意味がわからない。

 

 

 

 

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7月18日

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2020年7月18日

 

あの日、私は13時30分から16時過ぎまで外出していた。

 

家に帰って、開口一番、母に

三浦春馬亡くなったってよ。自殺やって。」

と言われた。

母は私が三浦春馬さんが好きなのを知っていた。

 

私はその言葉を理解できず、

「え?」

としか言えない。

 

私は手を洗う。

玄関で靴を脱ぎながら、父が

「メンタル弱そうやったもんな〜」

という声が聞こえる。

父はデリカシーがない。

 

母が、父に

「そんなこと言わない」

と怒る。

 

そんな会話が聞こえてくる中、ようやく私の脳内には三浦春馬さんの顔が浮かぶ。

それでも、意味がわからなくて、情報が脳内で繋がらなくて、

「どういうこと?」

ずっとそう言っていたように思う。

 

手を洗い終わり、うがいをし、

やっとスマホを手にする。

 

いや絶対デマでしょ。そう思いながら、Twitterを開く。

トレンドには "三浦春馬" の文字

心臓を吐き出しそうになりながら、そのトレンドを開く。

 

"三浦春馬 急死"   "三浦春馬 自殺"

何も言えなかった。

 

自分一人で整理したくて、テレビのニュースは見なかった。

 

30分以上経ったのか、内容は覚えていないが、母に話しかけられる。

「ショック…」以外なにも言葉が出てこない。

 

昔から家族には本当の弱音は吐けなかった。

本当につらい時は家族には言えなかった。

 

「意味がわからない」「どういうこと?」「何で?」「何があったの?」「デマじゃないの?」「本当なの?」「理解できない」

そんな感情のまま、夕食を食べ、お風呂に入って

すぐに自室に籠った。

 

またTwitterを開き、「デマではない」「首を吊っていた」「本当に三浦春馬は亡くなった」

そのことは分かった。

 

信じられなかった。意味が分からなかった。

正直4日経った今でも、意味がわからない。

 

ただ、意味がわからないし理解できないけど

悲しいという感情は湧いてくる。

なぜだろう。受け入れられていないのに涙は出てくる。

 

Twitterに、「え?むり」「むり」「ほんとにむり」と書き込む。

それからずっとTwitterを見ていた。

ひたすら泣いた。

眠れなかった。つらかった。つらい。

 

14時10分に亡くなったことを知った。

その時私は何をしていただろう。買い物をしていたかな。自分に腹が立った。

 

今まで、三浦春馬さんに会いに行かなかったこと。

直接、好きですと伝えなかったこと。

無理しないで、つらくなったら辞めてねと伝えなかったこと。

苦しんでいることに気づかなかったこと。

 

大きな後悔に襲われた。

 

Twitterで笑顔の彼の写真や動画を見る度に、意味がわからないという感情に襲われる。

画面の中の彼の姿と、彼はもういないという事実が噛み合わなすぎる。

 

未だに受け入れられない。彼はもういない?

どういう意味?本当にわからない。

受け入れられない。信じられない。

 

ただ、受け入れられないはずなのに、悲しさと後悔はある。なぜ?

 

それから4日。毎日泣いてばかり。何も手につかない。

家族の前では平気なフリをしているけれど、今までの人生で一番つらい。

 

Twitterを見れば余計に辛くなると分かっていても、調べずには居られない。"三浦春馬" と

 

他殺だとか後追いするなだとか言っている人がいる。

そんなこと何も頭に入ってこない。

三浦春馬が死んだ。このことが本当に理解できない。

理解したくないだけか。

彼がいない世界?意味がわからない。

 

あと何日これが続く?

死 についてと、彼についてしか考えられない日々。

 

心から笑える日はいつ来る?

クローゼット という言葉を目に、耳にして、普通に聞き流せる日はいつ来る?

三浦春馬 と調べない日は?

死について考えない日は?

 

もはや、以前の日常に戻りたいとも思わない。

"三浦春馬が生きている"以前の日常には戻りたいが。

彼がこの世にいない時点で、それまでの日常には一生戻れない。

 

どうすれば彼がいる世界に戻れる?

そして、彼に直接、つらかったら芸能界やめて田舎に行こう と言うの。

彼を救う。彼が生きている未来に変える。

 

それが出来ないなら生きている意味はない。

 

今はまだ、そうとしか考えられない。

 

もうこれ以上彼の画像や動画は見たくないけど、見ずには居られない。つらい。見たくない。

つらい。受け入れられない。

 

 

 

 

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残された者

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こんにちは。umaです。

 

やはりまだ明るいことは書けそうにありません。

三浦春馬さんの存在が、どれほど大きかったか思い知らされます。

 

彼の死から4日が経ちました。

私は実家暮らしなのですが、毎日自分の部屋にいる時間はずっと、ずっと泣いています。

夜寝る時も、布団に入ると涙が出てきます。

電気を消しても2時間は眠れません。

やっと眠れたと思ったら、朝3時や4時に必ず目を覚ましてしまいます。

そしてまた泣く。

日中もずっと彼の事以外なにも考えられません。

 

これまでの人生で、こんなに辛い日々はありませんでした。(経験が浅いだけかもしれません)

 

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私は高校3年生の時に、友人を病気で亡くしています。

高校2年生、3年生のクラスメイトでした。

私は男友達と呼べる人は少ない方だったと思いますが、彼とはその中でも特に仲がよかった、と思っています。

 

とても優しい人でした。誰にでも平等に優しく、勉強熱心で、いつも笑顔で気の配れる人でした。

 

また、人の死と並べるなと仰る方もいらっしゃるかもしれませんが、小学校4年生の時には

ペットのハムスターを亡くしました。

私は現在、ハムスターを飼っているのですが、

小学校4年生の時のあのつらさが忘れられず、10年以上生き物は飼わない。飼えない。と公言してきました。(現在のハムスターを飼うことになった敬意についてはまた別の機会に)

 

今は、ハムスターがいて幸せだと感じていますが、やはり飼ってすぐの時はずっと死んでしまったらということばかり考えていたし、今でもどこかで死に怯えながら育てています。(飽くまで幸せであることは前提としてあります)

 

本当に、死を経験することが怖いのです。

本当に、もう誰かの死を経験したくありません。

 

以前からこのような考えだったにも関わらず、今回三浦春馬さんの死を経験しました。

全く親しい間柄ではないし、ただ一方的に好きだっただけなのに、今私はこれまでにないほど絶望のドン底にいます。

 

今回彼の死について考えていく中で、やはり

もうこれ以上、誰かの死を経験したくない

そう思いました。

 

ありがたいことに、私の祖父母は両家ともまだ健在です。

しかし、高齢故に、いつ亡くなってもおかしくないと感じます。

家族、友人だって、いつ事故や病気で亡くなるか分かりません。

ましてや、ハムスターなんて、長く持ってもあと2年か3年です。

 

想像するだけで、つらいです。

 

今はネガティブな状態だからでしょうか。

だったら自分が一番に死にたい。

そう思います。

 

かと言って、勇気はないので

ただそう思うだけで、何も実行には移せません。

 

毎日そう思いながら、なにもせず、ただ呆然と生きています。

 

残された者のつらさ。これ以上知りたくありません。

何か、やりたいこと、生きがいを見つけたとしても、家族や周りの方の死を乗り越えられるほどのものなど存在しないのではないかと感じます。

 

私は、先述した3人(三浦春馬さん、友人、ハムスター)以外は、鮮明な記憶が残っているほどの死を経験したことがありませんでした。

曽祖父母などもです。

 

だからこんな風に考えてしまうのかな。

 

周りの方の死を乗り越えた方々はたくさんいるはずだけど、私にそれが出来るのかな。そう思います。

 

 

 

 

 

まだまだ書きたいことはあるけれど、とりあえずここら辺で一旦切ります。

毎度ネガティブな内容で申し訳ないです。

 

いつかは今飼っているハムスターについてや、もっと明るい日常、行ってみたい所についてなども書けたらいいな。

優しい人ほど

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こんにちは。umaです。

 

一度ブログを書き始めたら、書きたいことがどんどん出てきました(笑)

 

今回も、ナイーブな内容となっておりますので、不適切な表現がございましたら申し訳ございません。

 

 

私が以前から、よく考えているのは

優しく、良い人ほど早くに亡くなってしまう

ということです。

 

これは、芸能人とか一般人とか関係なくです。

私の周りの方でも、芸能人でも、

優しい方ほど早く亡くなります。

なぜなのでしょうか。

非人道的なことを言えば、優しい方ほど長生きして、根っからの極悪人が短命の方が幸せだ

なんて思ってしまいそうです、、、

 

一度、考えたことがあります。

芸能人の場合は、1つ前のブログでも述べたように、亡くなってから故人を美化するような発言"も" 多く出てきますよね。

そのせいで、芸能人が亡くなる度に、この方は優しく良い人だった と思ってしまっているからではないか。と

 

しかし、一般人である私の周りの方にはそれは当てはまりませんし、SNSでの発言を無視したとしても、やはり

マイケルジャクソンなど、優しく偉大な良い人ほど、早く亡くなってしまうのです。

 

どうして、敢えてみんなから必要とされている人ばかりが早く死ななくてもいいじゃないか。と思います。

 

本当にやるせないし、本当につらい。

 

どうしてこの世はこんなに不平等で理不尽なのか?

 

死について考える日々は、つらく暗いです。

でも、考えずには居られない。

 

早くこのドン底から抜け出したいけど、彼のことは忘れたくない。

いつか忘れてしまうのかと思うと、こわい。

 

 

 

 

 

 

まだ三浦春馬さんの死から立ち直れず、暗い話ばかりになってしまっています。

明るい題を見つけられるようにつとめます。

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死 について

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こんにちは。umaです。

今回は、度々私が考えることになる、死について

自分の考えを綴りたいと思います。

 

あくまで、私個人の考えであり、もしかしたら故人に対して不適切な表現や、読んでいる方を不快にさせてしまう表現があるかもしれません。

そこはきっと、私の言葉足らずが原因です。

ご容赦下さい。

 

 

では、本題に入りますが、私は死について考えることが度々あります。

例えば、誰かが亡くなられた時。つらいことがあった時。

 

芸能人が亡くなられると、SNSで多くの方が、故人を偲ぶ発言をされますよね。

私はそれを見て、いつも思うのです。

 

亡くなると、皆にその功績を褒め称えられるのだなと。

褒め称えられるというのは適切な表現ではないかもしれません。どう表現すれば良いのでしょうか、私の語彙力では表現しづらいのですが、

たとえば生前、かなりヤンチャをしていた方でも、亡くなられると「実は良い人だったよ、優しかったよ」とみんなが後出しをし始めませんか?

そして、「えー私あの人好きだったのに!」と、みんな言いますよね。

生前、ただの一度もそんなことを言っていなかった人が、そう言います。

 

私はいつも、それを見て、うーん、と思うのです。

これ以上は、適切な言葉が見つからないので書けませんが、とにかく、故人に関して気安く何か発言をすることができる世の中になってしまっているので、そのような後出し、または美化(言い方は適切ではないかもしれません)が横行するのではないか、と。

SNSというものが普及して、何でも思ったことをすぐ発言できるようになって、死というものにも言及しやすくなってしまいました。

でも、死ってSNSのような軽い(私の中ではそのようなイメージ)ツールで触れていいものなのかな、とも思います。

 

ただ、私も先日の三浦春馬さんの死に関しては、何度もSNSでも発言をしてしまっているので人のことは言えませんね、、、

 

私も、三浦春馬さんが亡くなられたことを知り、初めて、SNSで故人について語られている方々の気持ちを理解しました。

「えー私好きだったのに!」とか、故人を美化した発言をしている方には賛同できませんが、

本当に悲しみに暮れて、その気持ちや故人への気持ちを綴っている方は、自分一人では抱えきれない深い悲しみを、外に吐き出すツールとしてSNSを使っているのだ。そして、この気持ちを言葉にすることで、故人に届くことを願っているのだ。

そう思います。

 

また、私は誰かが亡くなられる度に思うことがもう一つあります。

これは未だに、何故誰かが亡くなられると、こう思うのか、自分でも分かりませんが

清く、美しく生きよう。ということです。

美しくというのは、もちろん外見に関することではありません。

 

普段、スマホばかり見て、何もせずただ時間を無駄にしているだけの日々。

 

そうではなく、本を読んだり、旅をしたり、勉強をしたり、何かもっと有意義な時間を過ごそう。

そして、人にやさしく。清く生きよう。

 

と思うのです。

 

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