残された者
こんにちは。umaです。
やはりまだ明るいことは書けそうにありません。
三浦春馬さんの存在が、どれほど大きかったか思い知らされます。
彼の死から4日が経ちました。
私は実家暮らしなのですが、毎日自分の部屋にいる時間はずっと、ずっと泣いています。
夜寝る時も、布団に入ると涙が出てきます。
電気を消しても2時間は眠れません。
やっと眠れたと思ったら、朝3時や4時に必ず目を覚ましてしまいます。
そしてまた泣く。
日中もずっと彼の事以外なにも考えられません。
これまでの人生で、こんなに辛い日々はありませんでした。(経験が浅いだけかもしれません)
私は高校3年生の時に、友人を病気で亡くしています。
高校2年生、3年生のクラスメイトでした。
私は男友達と呼べる人は少ない方だったと思いますが、彼とはその中でも特に仲がよかった、と思っています。
とても優しい人でした。誰にでも平等に優しく、勉強熱心で、いつも笑顔で気の配れる人でした。
また、人の死と並べるなと仰る方もいらっしゃるかもしれませんが、小学校4年生の時には
ペットのハムスターを亡くしました。
私は現在、ハムスターを飼っているのですが、
小学校4年生の時のあのつらさが忘れられず、10年以上生き物は飼わない。飼えない。と公言してきました。(現在のハムスターを飼うことになった敬意についてはまた別の機会に)
今は、ハムスターがいて幸せだと感じていますが、やはり飼ってすぐの時はずっと死んでしまったらということばかり考えていたし、今でもどこかで死に怯えながら育てています。(飽くまで幸せであることは前提としてあります)
本当に、死を経験することが怖いのです。
本当に、もう誰かの死を経験したくありません。
以前からこのような考えだったにも関わらず、今回三浦春馬さんの死を経験しました。
全く親しい間柄ではないし、ただ一方的に好きだっただけなのに、今私はこれまでにないほど絶望のドン底にいます。
今回彼の死について考えていく中で、やはり
もうこれ以上、誰かの死を経験したくない
そう思いました。
ありがたいことに、私の祖父母は両家ともまだ健在です。
しかし、高齢故に、いつ亡くなってもおかしくないと感じます。
家族、友人だって、いつ事故や病気で亡くなるか分かりません。
ましてや、ハムスターなんて、長く持ってもあと2年か3年です。
想像するだけで、つらいです。
今はネガティブな状態だからでしょうか。
だったら自分が一番に死にたい。
そう思います。
かと言って、勇気はないので
ただそう思うだけで、何も実行には移せません。
毎日そう思いながら、なにもせず、ただ呆然と生きています。
残された者のつらさ。これ以上知りたくありません。
何か、やりたいこと、生きがいを見つけたとしても、家族や周りの方の死を乗り越えられるほどのものなど存在しないのではないかと感じます。
私は、先述した3人(三浦春馬さん、友人、ハムスター)以外は、鮮明な記憶が残っているほどの死を経験したことがありませんでした。
曽祖父母などもです。
だからこんな風に考えてしまうのかな。
周りの方の死を乗り越えた方々はたくさんいるはずだけど、私にそれが出来るのかな。そう思います。
まだまだ書きたいことはあるけれど、とりあえずここら辺で一旦切ります。
毎度ネガティブな内容で申し訳ないです。
いつかは今飼っているハムスターについてや、もっと明るい日常、行ってみたい所についてなども書けたらいいな。